2006年 03月 15日
Neesweek 3/15 「ブログは新聞を殺すのか」
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2005年4月、Newsweek誌に掲載されたあるコラムにおいて、K-1が名指しで批判された。その内容は格闘技の持つ暴力性と、格闘技を好んで見るファンに対する批判的な意見であったのだが、その記述の中に格闘技に対する不勉強や偏見が明らかに見て取れたため、それを読んだ自分は極めて不愉快な気分になった。そのコラムには「読者の皆さんと討論したいと思う」との一文があり、執筆者が記事に対する読者の意見を求めていたため、早速その記事に対する反論を行うことにした。自分は当時まだブログを書き始めていなかったため、その反論をメールにて編集部に送付したのだが、結局その後に当該コラムにおいて読者側からの反論意見が掲載されることは無く、大いに失望したものだった。
もう先週号になるが、そのNewsweek誌がある特集を組んだ。タイトルは「ブログは新聞を殺すのか」。インターネットの普及によりアメリカの新聞は厳しい状況に置かれている。一日あたりの発行部数はピーク時の85年の6277万部に比し、04年で5463万部と13%減少、また日刊紙の数も75年の1756紙から04年で1457紙の17%減少と、日刊紙の苦しい立場を示すデータが載っている。日本のデータは示されていないが、状況は似たようなものと見て良い。若年層を中心にネットでニュースサイトやブログを読む消費者が増え、新聞離れが進んだことが発行部数の低下の大きな原因として挙げられているが、これは日本でも指摘されていることであり、日米共通の現象と言えるだろう。こうした状況を受けて各新聞はニュースのネット配信を手がけるようになり、その軸足をネット側に移し始めている。
こうして新聞が苦境にある傍らで、ブログは隆盛を誇っている。その数、全世界の推計で2900万。その影響力は着実に増加し続けている。2004年のアメリカ大統領選挙では大きな役割を果たし、日本においてはまだ政治的な影響力は少ないものの、昨年の総選挙に前後して自民党と民主党がそれぞれブロガーを集めての懇談会が開催された。こうして社会的な地位を急速に確立しつつあるブログは、新聞に取って代わってしまうのか。ブログから情報を得る人間が増える一方で、新聞の購読者は減り続けている。ブログは新たな情報源として機能するのか。結論から言えば、NOだ。考えてみればすぐに分かることだが、個々のブロガーにはニュースの元となる情報を取材する能力が無い。ブログが真価を発揮するのは、現存する情報に対し解釈や分析を加えることだ。コメントやトラックバックを利用し、読者とのコミュニケーションを行い、そこに個人の主観や意見を反映させる。既存のマスメディアが一方的に情報を発信するのと異なり、利用者間の双方向性があるのが最大の特徴であり、メリットである。
しかしブログは一個人が運営するという性質上、意見が偏ってしまうこともある。マナーが守られないこともある。既存のメディアから「無責任な内容で客観性が無い」「事実の裏付けの無い噂話ばかりだ」と批判されるのは理由無きことではない。だからこそブログを運営する人間は、自らのブログ寄せられた反論や意見に向き合う必要が有ると思う。そうでなくては、いつまで経っても「無責任な内容」から抜け出すことは出来ない。当ブログのような見に来る人がほとんどいないブログでも、私は自分の書いたことへの責任くらいは取るべきだろう。
さて冒頭に書いたコラムニストだが、その人自身もブログを運営しており、例のコラムが掲載された後はブログにも反論や批判が寄せられたらしい。しかし結局、そのコラムニストはその意見には正面から答える事は無かった。雑誌のコラムとブログの両方で、彼は自らの発言に責任を取ることは遂に無かったのだ。最後まで自らの説明責任を果たすことの無かったこのコラムニストだが、反面教師としての価値だけはあると言えようか。
もう先週号になるが、そのNewsweek誌がある特集を組んだ。タイトルは「ブログは新聞を殺すのか」。インターネットの普及によりアメリカの新聞は厳しい状況に置かれている。一日あたりの発行部数はピーク時の85年の6277万部に比し、04年で5463万部と13%減少、また日刊紙の数も75年の1756紙から04年で1457紙の17%減少と、日刊紙の苦しい立場を示すデータが載っている。日本のデータは示されていないが、状況は似たようなものと見て良い。若年層を中心にネットでニュースサイトやブログを読む消費者が増え、新聞離れが進んだことが発行部数の低下の大きな原因として挙げられているが、これは日本でも指摘されていることであり、日米共通の現象と言えるだろう。こうした状況を受けて各新聞はニュースのネット配信を手がけるようになり、その軸足をネット側に移し始めている。
こうして新聞が苦境にある傍らで、ブログは隆盛を誇っている。その数、全世界の推計で2900万。その影響力は着実に増加し続けている。2004年のアメリカ大統領選挙では大きな役割を果たし、日本においてはまだ政治的な影響力は少ないものの、昨年の総選挙に前後して自民党と民主党がそれぞれブロガーを集めての懇談会が開催された。こうして社会的な地位を急速に確立しつつあるブログは、新聞に取って代わってしまうのか。ブログから情報を得る人間が増える一方で、新聞の購読者は減り続けている。ブログは新たな情報源として機能するのか。結論から言えば、NOだ。考えてみればすぐに分かることだが、個々のブロガーにはニュースの元となる情報を取材する能力が無い。ブログが真価を発揮するのは、現存する情報に対し解釈や分析を加えることだ。コメントやトラックバックを利用し、読者とのコミュニケーションを行い、そこに個人の主観や意見を反映させる。既存のマスメディアが一方的に情報を発信するのと異なり、利用者間の双方向性があるのが最大の特徴であり、メリットである。
しかしブログは一個人が運営するという性質上、意見が偏ってしまうこともある。マナーが守られないこともある。既存のメディアから「無責任な内容で客観性が無い」「事実の裏付けの無い噂話ばかりだ」と批判されるのは理由無きことではない。だからこそブログを運営する人間は、自らのブログ寄せられた反論や意見に向き合う必要が有ると思う。そうでなくては、いつまで経っても「無責任な内容」から抜け出すことは出来ない。当ブログのような見に来る人がほとんどいないブログでも、私は自分の書いたことへの責任くらいは取るべきだろう。
さて冒頭に書いたコラムニストだが、その人自身もブログを運営しており、例のコラムが掲載された後はブログにも反論や批判が寄せられたらしい。しかし結局、そのコラムニストはその意見には正面から答える事は無かった。雑誌のコラムとブログの両方で、彼は自らの発言に責任を取ることは遂に無かったのだ。最後まで自らの説明責任を果たすことの無かったこのコラムニストだが、反面教師としての価値だけはあると言えようか。
by moonemblem
| 2006-03-15 01:48
| 本