2006年 01月 06日
小川と吉田 二人の生き様
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先日の男祭りの試合、結果は1R6分04秒腕ひしぎ十字固めで吉田の勝利。しかも小川は途中に仕掛けられたアキレス腱固めで骨折、吉田の完全勝利と言っても良い内容だ。試合の内容・結果は共に、一方的に吉田のものであった。しかし、その後のマイクでは、逆に完全に小川の独壇場。完全に勝者と敗者の立場が逆転してしまっている。小川のふてぶてしい話しっぷりを聞いていて、これが本当に負けた人間の態度か、と思った人は自分だけではあるまい。両者の差がが織り成したこの日のリング、このような結果が導かれる事はあらかじめ決まっていたのかも知れない。それは、両者の生き様の違いによるものだった。
「何をお客さんが見にきてるかって、プロレスを見に来てる訳じゃないですから。真剣勝負を見にきてるんで」これはこの日の試合が決まった後、インタビューに対する返答。誰の言った言葉かは説明するまでも無くお判りになるだろう、吉田秀彦のものだ。吉田秀彦は真剣勝負、試合の結果、そして自分が格闘家であるという事に非常にこだわっている。リングの上に立ち、そこでどのようなファイトを見せるか。それが吉田のプロとしての在り方だ。先日の大晦日でもそうだった。吉田が見せるべきは、ゴングが鳴ってからレフリーが試合の終結を宣言するまでの間、そのわずかな時間に凝縮されている。だから彼は、試合後の小川の「オレと一緒にハッスルしないか」との呼びかけには応えなかった。吉田にとっては試合が全てであり、その後の客向けのパフォーマンスなどという物に、一切興味は無いのだ。「今度やる舞台っていうのは、お道化で人がついてくるような舞台じゃないんで」そう言う吉田は、PRIDEという舞台で自分が求められているものは、「強さ」であると理解している。そしてそうした価値観に、自分自身も強くこだわるからこそ、彼はPRIDEのリングに上がるといっても良い。
一方の小川は、観客を喜ばせるためにリングに上がる。「プロレスラーってのは、それ(試合に勝つこと)プラス喜ばせなきゃいけない」とは小川の言葉。彼がPRIDEのリングに上がるとき、それは格闘家としてではなく、プロレスラーとして上がる。小川が入場してきた時、橋本の「爆勝宣言」が流れたが、これがそのまま、小川のスタイルを表している。試合後のマイクもそうだ。これは全て、小川が格闘家としてではなく、プロレスラーとして存在していることの証だ。彼にとっては入場してから退場するまで、いや、試合当日以外の記者会見ですら、全てがファンに向けた行動と言って良い。いや、逆に、試合後に見せるパフォーマンスこそが真価と言っても良い。試合後にハッスルをするのは、何もハッスルを広めるためだけではなく、これによって会場が盛り上がることを期待してのものだ。あらよる手段を駆使してファンに訴えかけ、そこに存在するだけで会場の空気を変える圧倒的な存在感。それが小川だ。吉田のこだわりとは対照的に、小川は自分がプロレスラーであること、観客をいかに喜ばせるかという事にこだわっている。例え試合で勝っても、客が盛り上がらなければ意味は無い。それが小川の価値観であり、行動基準だ。
試合の後の小川の行動には批判も有る。吉田がマイクで挨拶している間、退場する小川が観客とハッスルをしていた事には、眉をひそめた人も多いと思う。これには、私もどうかと思った。先程まで試合をしていた吉田に対し、礼を失する行動であることは明白で、この点に関しては批判されて当然だ。しかし、考えてもらいたい。上品で紳士的な振る舞いをする小川など、誰が求めているのか。ファンが求めているのは、傲慢でありながらも、愛すべきキャラクターとしての小川だ。格闘家としては明らかに失格。だがプロレスラーとして見るならば、小川の行動は100%正しい。確かに小川は試合で吉田に負けた。しかし、小川は本当に敗者と言えるのか。「お客さんとの勝負ってのが一番だから」そう小川は言った。では、この勝負の結果はどうだったか。言うまでも無い、小川の勝ちだ。会場を盛り上げた小川は、観客との勝負に勝ったのだ。吉田は試合に勝ち、小川は観客に勝った。この日、最後の試合でリングに上がった二人の男は、そういった意味で両方とも勝者だ。「生き様を倒すのは、生き様」そう文句の打たれたこの試合、二つの生き様は決して交わることは無かったが、倒れることも無かった。小川と吉田は自らの信じた生き様を見事に貫き、己の為すべき事を成し遂げて見せたのだ。
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「何をお客さんが見にきてるかって、プロレスを見に来てる訳じゃないですから。真剣勝負を見にきてるんで」これはこの日の試合が決まった後、インタビューに対する返答。誰の言った言葉かは説明するまでも無くお判りになるだろう、吉田秀彦のものだ。吉田秀彦は真剣勝負、試合の結果、そして自分が格闘家であるという事に非常にこだわっている。リングの上に立ち、そこでどのようなファイトを見せるか。それが吉田のプロとしての在り方だ。先日の大晦日でもそうだった。吉田が見せるべきは、ゴングが鳴ってからレフリーが試合の終結を宣言するまでの間、そのわずかな時間に凝縮されている。だから彼は、試合後の小川の「オレと一緒にハッスルしないか」との呼びかけには応えなかった。吉田にとっては試合が全てであり、その後の客向けのパフォーマンスなどという物に、一切興味は無いのだ。「今度やる舞台っていうのは、お道化で人がついてくるような舞台じゃないんで」そう言う吉田は、PRIDEという舞台で自分が求められているものは、「強さ」であると理解している。そしてそうした価値観に、自分自身も強くこだわるからこそ、彼はPRIDEのリングに上がるといっても良い。
一方の小川は、観客を喜ばせるためにリングに上がる。「プロレスラーってのは、それ(試合に勝つこと)プラス喜ばせなきゃいけない」とは小川の言葉。彼がPRIDEのリングに上がるとき、それは格闘家としてではなく、プロレスラーとして上がる。小川が入場してきた時、橋本の「爆勝宣言」が流れたが、これがそのまま、小川のスタイルを表している。試合後のマイクもそうだ。これは全て、小川が格闘家としてではなく、プロレスラーとして存在していることの証だ。彼にとっては入場してから退場するまで、いや、試合当日以外の記者会見ですら、全てがファンに向けた行動と言って良い。いや、逆に、試合後に見せるパフォーマンスこそが真価と言っても良い。試合後にハッスルをするのは、何もハッスルを広めるためだけではなく、これによって会場が盛り上がることを期待してのものだ。あらよる手段を駆使してファンに訴えかけ、そこに存在するだけで会場の空気を変える圧倒的な存在感。それが小川だ。吉田のこだわりとは対照的に、小川は自分がプロレスラーであること、観客をいかに喜ばせるかという事にこだわっている。例え試合で勝っても、客が盛り上がらなければ意味は無い。それが小川の価値観であり、行動基準だ。
試合の後の小川の行動には批判も有る。吉田がマイクで挨拶している間、退場する小川が観客とハッスルをしていた事には、眉をひそめた人も多いと思う。これには、私もどうかと思った。先程まで試合をしていた吉田に対し、礼を失する行動であることは明白で、この点に関しては批判されて当然だ。しかし、考えてもらいたい。上品で紳士的な振る舞いをする小川など、誰が求めているのか。ファンが求めているのは、傲慢でありながらも、愛すべきキャラクターとしての小川だ。格闘家としては明らかに失格。だがプロレスラーとして見るならば、小川の行動は100%正しい。確かに小川は試合で吉田に負けた。しかし、小川は本当に敗者と言えるのか。「お客さんとの勝負ってのが一番だから」そう小川は言った。では、この勝負の結果はどうだったか。言うまでも無い、小川の勝ちだ。会場を盛り上げた小川は、観客との勝負に勝ったのだ。吉田は試合に勝ち、小川は観客に勝った。この日、最後の試合でリングに上がった二人の男は、そういった意味で両方とも勝者だ。「生き様を倒すのは、生き様」そう文句の打たれたこの試合、二つの生き様は決して交わることは無かったが、倒れることも無かった。小川と吉田は自らの信じた生き様を見事に貫き、己の為すべき事を成し遂げて見せたのだ。
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by moonemblem
| 2006-01-06 15:00
| PRIDE