2006年 01月 30日
Sports Graphic Number 645 「覇拳。」 (下)
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PRIDEの試合を見ているとき、よくレフリーが選手に向かってこう叫ぶのを耳にする。「Action」「Improve position」「Go to finish」―これらはグラウンドの攻防になった際、頻繁に聞かれる。PRIDEの試合においては膠着をよしとせず、動きのある激しい試合展開を求められる。公式ルールに明記されている言葉を借りると「有効な攻防」と言うやつだ。しかしこれは、観客好みのエキサイティングな試合を生むための圧力となるが、その一方で次の仕掛けにつなげるための目に見え辛い部分、言わば地味な攻防を削ぎ落としてしまうことになってしまう。グラウンドでの攻防は、一見して動きが少なく地味で、知識の無い人間にはさっぱり理解できない。しかしグラウンドの攻防において、パスガードして有利なポジションを確保し有効な攻撃を行うためには、こうした分かり辛い動きこそがどうしても必要となる。
柔術家を自負するヒカルド・アローナは、この点について記者に訴えた。「ヴァンダレイはパワーのある選手で、すぐにスタンドに戻ろうとするから、極めるためにはポジションを調整するのに、それなりの時間がかかるんだ」。柔術の技術が普及していなかった総合格闘技の黎明期ならいざ知らず、立技系ファイターですら柔術のディフェンステクニックを学んでいる現在、実力差が無い限り相手から簡単に一本を奪うことはできない。ましてやアローナが相手にしたシウバは柔術黒帯である。しかしレフリーは、こうした事には考慮しない。今回の記事の最初に挙げた3つの言葉は、それぞれ「動け」「有利なポジションに行け」「極めろ」という意味だ。つまり、選手に対して指示を出しているようなものだが、このように審判が試合に過剰に干渉し、恣意的にコントロールしようとすることに対する選手側からの批判はかねてからあった。しかし当然ながら、言われたから、はいそうですか、と出来るものではない。こうした点にもアローナは不満を口にする。「なのに『アクション!アクション!』とレフェリーが叫ぶ。たった15秒で極めろとでもいうのか」。
アローナが感じている怒りは、私には真っ当なものに思える。だがアローナは、彼が立っているPRIDEが、総合格闘技のリングであるという事実に対し、今一度よく考えなければならない。チームメイトであるノゲイラはボクシングの習得に力を入れているが、その理由を記事の中でこう話す。「いきなり極めようとしても、それは難しい。まずはスタンドで相手を十分に疲れさせる、その後でグラウンドの展開に持ち込む。そのためにボクシングは必要なんだ」。この言葉は、極めて重要なことを示唆している。ここで改めて書く。現在の総合格闘技の戦いは、打撃を抜きにして考えることは不可能だ。あるいは、寝技か立技の片方だけでは勝利を得ることは出来ない、と言い換えても良い。アローナが戦ったヴァンダレイ・シウバ、彼が所属するシュートボクセ・アカデミーの選手は、踏み付けをよく利用するが、そこには柔術の技術が利用されている。相手の邪魔な足を越えて顔面に強力な蹴りを見舞うために、選手の何人かは柔術のパスガード技術を利用する。踏み付けた足をキャッチされた時は、足関節技から抜け出す技術が出番となる。また彼らのアグレッシブな打撃は、グラウンドに引きずり込まれても対応する自信に裏打ちされている。
ここに我々は、総合格闘家としてのあるべき姿を見出すことが出来る。ノゲイラ然り、シュートボクセ然り、あるいはヒョードル然り。彼らは得意とする戦い方を持つその裏で、それを生かすための技術を持ち合わせている。寝技と立技というまったく異なる技術体系が、お互いに弱点をカバーし合い、その長所を引き出すために存在している。これは総合格闘技ゆえに必要とされたことであり、そこには総合格闘技の本質に対する深く正しい理解が存在する。ヒョードルのキックボクシングのコーチであるルスラン・ナグニビダは記事の中でこう言う。「ヒョードルのファイターとしての最大の長所は、いつも自分をひとつにできることです。組み技と打撃をそれぞれ別個のものではなく、まとめて使おうとしている」。アローナに欠けているのは、これなのだ。
私はここでアローナに言いたい。判定に対する不満はあるだろうが、ただ不満を口にしているだけでは何も変わらないと。チームメイトであるノゲイラは、かつてリングスの第1回KOKトーナメントで、優勢に試合を進めながらも判定によりヘンダーソンに敗れた。この判定結果は物議を醸したが、この時のノゲイラは与えられた不本意な結果を、自らのレベルアップの機会として捉えた。不満を口にするよりも、ファイターとして前進することを選んだのだ。そして今またノゲイラは、柔術家に不利となった現在のPRIDEの環境において、再び前進しようと、変わろうとしている。このように、現状に適応するべく努力をすることこそが、アローナよ、今の貴方に必要なことではないのか。貴方が打撃を自らのものとし、総合格闘家として進化したその時こそ、王者の座を奪い取るチャンスが来るだろう。私は一人の格闘技ファンとして、その時が訪れることを心待ちにしている。
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柔術家を自負するヒカルド・アローナは、この点について記者に訴えた。「ヴァンダレイはパワーのある選手で、すぐにスタンドに戻ろうとするから、極めるためにはポジションを調整するのに、それなりの時間がかかるんだ」。柔術の技術が普及していなかった総合格闘技の黎明期ならいざ知らず、立技系ファイターですら柔術のディフェンステクニックを学んでいる現在、実力差が無い限り相手から簡単に一本を奪うことはできない。ましてやアローナが相手にしたシウバは柔術黒帯である。しかしレフリーは、こうした事には考慮しない。今回の記事の最初に挙げた3つの言葉は、それぞれ「動け」「有利なポジションに行け」「極めろ」という意味だ。つまり、選手に対して指示を出しているようなものだが、このように審判が試合に過剰に干渉し、恣意的にコントロールしようとすることに対する選手側からの批判はかねてからあった。しかし当然ながら、言われたから、はいそうですか、と出来るものではない。こうした点にもアローナは不満を口にする。「なのに『アクション!アクション!』とレフェリーが叫ぶ。たった15秒で極めろとでもいうのか」。
アローナが感じている怒りは、私には真っ当なものに思える。だがアローナは、彼が立っているPRIDEが、総合格闘技のリングであるという事実に対し、今一度よく考えなければならない。チームメイトであるノゲイラはボクシングの習得に力を入れているが、その理由を記事の中でこう話す。「いきなり極めようとしても、それは難しい。まずはスタンドで相手を十分に疲れさせる、その後でグラウンドの展開に持ち込む。そのためにボクシングは必要なんだ」。この言葉は、極めて重要なことを示唆している。ここで改めて書く。現在の総合格闘技の戦いは、打撃を抜きにして考えることは不可能だ。あるいは、寝技か立技の片方だけでは勝利を得ることは出来ない、と言い換えても良い。アローナが戦ったヴァンダレイ・シウバ、彼が所属するシュートボクセ・アカデミーの選手は、踏み付けをよく利用するが、そこには柔術の技術が利用されている。相手の邪魔な足を越えて顔面に強力な蹴りを見舞うために、選手の何人かは柔術のパスガード技術を利用する。踏み付けた足をキャッチされた時は、足関節技から抜け出す技術が出番となる。また彼らのアグレッシブな打撃は、グラウンドに引きずり込まれても対応する自信に裏打ちされている。
ここに我々は、総合格闘家としてのあるべき姿を見出すことが出来る。ノゲイラ然り、シュートボクセ然り、あるいはヒョードル然り。彼らは得意とする戦い方を持つその裏で、それを生かすための技術を持ち合わせている。寝技と立技というまったく異なる技術体系が、お互いに弱点をカバーし合い、その長所を引き出すために存在している。これは総合格闘技ゆえに必要とされたことであり、そこには総合格闘技の本質に対する深く正しい理解が存在する。ヒョードルのキックボクシングのコーチであるルスラン・ナグニビダは記事の中でこう言う。「ヒョードルのファイターとしての最大の長所は、いつも自分をひとつにできることです。組み技と打撃をそれぞれ別個のものではなく、まとめて使おうとしている」。アローナに欠けているのは、これなのだ。
私はここでアローナに言いたい。判定に対する不満はあるだろうが、ただ不満を口にしているだけでは何も変わらないと。チームメイトであるノゲイラは、かつてリングスの第1回KOKトーナメントで、優勢に試合を進めながらも判定によりヘンダーソンに敗れた。この判定結果は物議を醸したが、この時のノゲイラは与えられた不本意な結果を、自らのレベルアップの機会として捉えた。不満を口にするよりも、ファイターとして前進することを選んだのだ。そして今またノゲイラは、柔術家に不利となった現在のPRIDEの環境において、再び前進しようと、変わろうとしている。このように、現状に適応するべく努力をすることこそが、アローナよ、今の貴方に必要なことではないのか。貴方が打撃を自らのものとし、総合格闘家として進化したその時こそ、王者の座を奪い取るチャンスが来るだろう。私は一人の格闘技ファンとして、その時が訪れることを心待ちにしている。
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by moonemblem
| 2006-01-30 10:43
| 本