2006年 02月 03日
カーウソン・グレイシー死去
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GRACIEMAG.comより。カーウソン・グレイシーが2月1日、シカゴにて死去した。享年72歳。死因は心不全。格闘技に明るい方ならご存知かと思うが、カーウソンは柔術の歴史において、大きな役割を果たした人だった。
まず選手としては、現役生活20年の間に19試合を戦って、無敗。その戦績の中でも、特にヴァウデマー・サンタナと繰り広げた激闘は有名だ。サンタナとは、グレイシー柔術の創始者・エリオをヴァーリトゥードで破ったことのある格闘家で、カーウソンは一族を代表して、そのリベンジマッチを行っている。その試合は49分間に及んだ結果、カーウソンが勝利。この試合を含め計6回、カーウソンはサンタナとの戦いを繰り返すことになるが、通算4勝2分とグレイシーの威信を守り続けた。カーウソンが現役だった74年まで、グレイシーの看板を背負い、他の格闘技と戦ったのは彼だった。
指導者となってからも、多くの業績を残している。カーウソンが設立したアカデミーからは、何人もの有力選手が輩出されている。ヒカルド・デラヒーバやヴァリッジ・イズマイウなどがそうだが、何と言っても特筆すべきはブラジリアン・トップチームに関する事だろう。トップチーム創設メンバーであるマリオ・スペーヒーやムリーロ・ブスタマンチはカーウソン・グレイシー柔術アカデミーで育ったのであり、BTTはそこから分離・独立して生まれたチームだからだ。ノゲイラ兄弟やヒカルド・アローナ、ビクトー・ベウフォートといった一流選手もアカデミー出身で、この時に同時に離脱している。この錚々たるメンバーを見ても分かるように、カーウソンが格闘技の歴史で果たしてきた役割は大きく、過去から現在に至る流れを見る上で重要な存在だ。
カーウソン・グレイシーはファイターとして、指導者として、そして格闘技の歴史の中で偉大な存在だった。彼の魂が天に召されるよう、ご冥福を祈る。
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まず選手としては、現役生活20年の間に19試合を戦って、無敗。その戦績の中でも、特にヴァウデマー・サンタナと繰り広げた激闘は有名だ。サンタナとは、グレイシー柔術の創始者・エリオをヴァーリトゥードで破ったことのある格闘家で、カーウソンは一族を代表して、そのリベンジマッチを行っている。その試合は49分間に及んだ結果、カーウソンが勝利。この試合を含め計6回、カーウソンはサンタナとの戦いを繰り返すことになるが、通算4勝2分とグレイシーの威信を守り続けた。カーウソンが現役だった74年まで、グレイシーの看板を背負い、他の格闘技と戦ったのは彼だった。
指導者となってからも、多くの業績を残している。カーウソンが設立したアカデミーからは、何人もの有力選手が輩出されている。ヒカルド・デラヒーバやヴァリッジ・イズマイウなどがそうだが、何と言っても特筆すべきはブラジリアン・トップチームに関する事だろう。トップチーム創設メンバーであるマリオ・スペーヒーやムリーロ・ブスタマンチはカーウソン・グレイシー柔術アカデミーで育ったのであり、BTTはそこから分離・独立して生まれたチームだからだ。ノゲイラ兄弟やヒカルド・アローナ、ビクトー・ベウフォートといった一流選手もアカデミー出身で、この時に同時に離脱している。この錚々たるメンバーを見ても分かるように、カーウソンが格闘技の歴史で果たしてきた役割は大きく、過去から現在に至る流れを見る上で重要な存在だ。
カーウソン・グレイシーはファイターとして、指導者として、そして格闘技の歴史の中で偉大な存在だった。彼の魂が天に召されるよう、ご冥福を祈る。
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by moonemblem
| 2006-02-03 03:05
| 格闘技